

・ポール家で初めての朝食−紅茶袋を幾度もまわす家族たち−
デンマークの家庭で家族が一緒に初めて食べる朝食はどんなもの? 不安ながらも期待しながら食卓についた。黒パン、食パン、コーンフレーク、バター、チーズ、ジャム。牛乳はどうやら深皿のコーンフレークにかけるものらしい。コーヒー茶わんがあったがこの家庭では朝は紅茶を飲むようである。
驚いたことに、一つの紅茶袋を家族で回し、紅茶の色が出なくなるくらいまで何度も使うのであった。私は一番最後に使うように心掛けた。多少色のついた白湯に砂糖を入れて飲むので砂糖湯を飲んでいるようなものであった。
食べ物は何から食べるのかと見ていると最初は深皿で、後で分かったことなのだがコーンフレーク、オートミール、黒パンのお粥など、毎朝違ったものを食べ、その後で黒パン、最後に食パンを食べるようであった。
私は主人のポールがやる通りワンテンポずらして同じものを食べるようにしたら子供達がおかしそうに注目していた。それにしてもライ麦の黒パンなんて今まで食べたことがなかったのでうまくない事!一切れをなんとか飲み込み、ポールが食パンを取るのを待った。
食パンの食べ方というと、パンの食文化で育っていない日本人の私は普通バターかジャムを付けるだけで食べるのが当たり前と思っていた。なんと食パンの上にバターを塗り、そのうえにチーズを乗せ、さらにその上にジャムを付けて食べるのである。変な食べ方もあるもんだと思ったが、真似をするより他にない、しかしこれは美味しかった。以後しば
らくの間朝食は食パンばかり食べていたら家族の目が気になりだした。それに朝仕事の後の空腹を食パンだけでは補えなくなり、努めて黒パンも食べるようにした。
デンマーク人の主食である黒パンは実に美味しい。しかし、短期研修で来た日本の客人の口には合わないことがある。そんな時、ふっとデンマークに来た当初の自分を思い出すのである。
・さっそく乗ったトラクター−地平線まで一直線に耕す−
朝食が終わるとポールがまた「ついて来い」という。農機具の格納庫である。飛行機の格納庫はみたことがあるけど、こんなにでかい農機具があるとは。内心驚いていると、タイヤだけでも自分の背丈以上ある大型トラクターに「一緒に乗れ、俺の操り方を見てろ、これからじゃがいもを蒔く畑を耕作しに行く」と言っているらしい。それがなぜ分かったかというと、落ちていたじゃがいもを見せて盛んにデンマーク語で繰り返してくれたからだ。「カタフラア」「カタフラア」と聞こえた。最初私には「肩振れ」と聞こえ、そっと自分の肩に目をやったものだ。
地平線まで行って丸い地球から落っこちるンじゃあないかと思うくらい広い畑を耕すのだ。しかも一度になんと六畝くらい掘り起こしていく馬力をもったトラクターで進むのだ。二、三往復するとポールはエンジンを停め、また落ちていたじゃがいもを指差した。「日本語ではなんと言う?」とたぶん聞いたと思ったので、「いも」と答えたら、「イモ、イモ」と何度も繰り返した後、「今度はお前がイモ畑を耕せ」と言っている。
「エーッ!」。小さい飛行機は何度か操ったことがあるけど、こんな馬鹿でかいトラクターをと不安だった。幸い大型免許を持っていたのでハンドルを握り、ファーストギアを入れると巨体は六行の畝を引っ掻きながら動きだした。地平線まで一直線に起こすのはさすがに難しく、畝はぐねぐねと見事に曲がってしまった。折り返しに修正しながら戻って来たので十二行の畝を作るところを六行しか出来なかった始末。彼にとっては私は半人前の小作人だったわけだ。
でも給料を欲しいと言ってなかったので大目に見てくれた。私としては給料をもらうよりも何よりも食べ物と寝るところの確保が至上命令だった。ポールの優しさが嬉しくて、首にならないように半人前の仕事ながら二倍の時間をかけてやってやれと覚悟した。
・昼食−じゃがいも、豚の焼肉、茶色のソース−
12時を過ぎても私は広い畑を行き来していた。遠くでマーキットが手を振っているのが見えたのでさっそく戻ると「お昼だヨ」と言っているようだ。お昼の食卓がまた興味津々。丸ごとゆでたじゃがいも、豚の焼肉、茶色いソースだけである。足りない味付けは塩と胡椒で自分でやるらしい。野菜をあまり食べず脂肪分の多い食生活なのに日本人より平均寿命が長いのはなぜだろうと思った。どうやらじゃがいもに大量のビタミンcが含まれているらしい。
子供達がまだ学校に行っていないので、昼食もポール、マリア、マーキット、カステン、私とテーブルを囲むことになる。一番末のヘンリックは揺りかごの中だ。最初の昼食で子供達は「シイオ」、「コオショウ」と私から聞き出した言葉にアクセントを付けて口にしていた。私は全神経を目と耳に集中して彼らが喋ることと動作を関連させ、何を言っているのか理解するようにした。
デザートはイチゴをどろどろと煮たようなものに牛乳をかけて大さじで食べる。ジャムを溶かして食べているみたいであった。
・いつも空腹。15分の昼寝でよみがえった活気。夕方ポールは誉めてくれた。
とにかく何を食べても空腹のときはうまい。肉体労働を長いことしていなかった私の身体はいつも空腹を訴えていたのだった。もう一つ空腹になる理由があった。どの食事も主人のポールより多く食べてはいけないと決めていたからだ。主人より多く食べ過ぎて穀潰しと思われ、首になるのが恐かったからである。
ポールは昼食を終えると昼寝をする習慣で私にも勧めてくれたが、勧められる前からすでに睡魔が襲っていたのだ。居間のソファに横になるとたちまち眠りに引きずり込まれた。わずか15分ばかりのお昼寝で活気がよみがえったのである。
「午後からもトラクターで同じ仕事をやれ」と言われたのだと思った。「トラクター」という単語を耳にしたからだ。「Ja、ヤア」と答えて果てしなく広い畑に出る頃にはギアチェンジも上手くなり、ちょっとばかり良い気分であった。畑を一直線に切るようにして耕作を開始するとカモメが数羽掘り返したばかりの土についている虫を漁った。その数があっという間に何百羽と増えたりして、ヒッチコックの映画を思い出したりした。
三時ごろ、遠くに人影を発見。後ろにカモメを従えながら近付いていくとマーキットが手提げかごを持って佇んでいた。「ンッ?」。彼女は手提げかごの中を指差す。おやつを持って来てくれたのである。エンジンをストップして土手の草むらに並んで腰掛け、コーヒーとケーキを食べる。コーヒーを飲まない彼女はソーダ水の瓶を口にした。そばの草むらからヒバリが思いっきり空に舞い上がっていった。なんとなく幸せな気持ちがしたのはなぜだったのだろう。10分ばかり休み、彼女は「Tak、タック」というとにこりと微笑して手提げかごを持って家に引き返していった。
午後5時過ぎころ、ポールが「もうやめろ」と手を振っているのを見つけ、カモメの家来ともを連れて引き返すと「なかなか上手いじゃないか!」と誉めてくれたんだと思う。なぜなら午前にグニャグニャした畝を作ったとき見せた顔と違ってニコニコしながら言ってくれたからだ。
・入浴で失敗。夕食はいつもオープンサンドウィッチ
シャワーを浴びろと言われたが私は家族が入るふろ場ではなく、蜘蛛の巣が張った地下室の暗いところにあるふろ場だった。バスタブがあったのでお湯をたっぷり満たし、一日の疲れを癒して良い気分で上がってくると、家族が使うお湯が無くなったと言われ、この家では使う湯も節約しているんだなと、「ごめんなさい、今後気を付けます」。豊かな暮らしを築いている何かを垣間見た気がした。
終日畑を耕し、土ぼこりで真っ黒になった身体を浄めると、空腹が夕食は何だろうと興味をそそらさせた。今日の夕食を食べるとデンマークの家庭での丸一日の食事のパターンがつかめるわけである。
食卓には主食の黒パン、色々な種類のハム、レバーペースト、お昼の残りの焼肉、ゆで卵、生タマネギの千切りETC。食べ方は黒パンにバターを塗り、その上に自分の好きな具を乗せて食べる方式で、日本ではオープンサンドウィッチと呼んでいるものだ。
なるほど、主食であるご飯の上に自分の好きな具を乗せて食べるのを日本では「寿司」と呼ぶ。主食の黒パンに自分の好きな具を乗せて食べるオープンサンドウィッチはデンマークの「寿司」ということになる。毎日夕食はオープンサンドウィッチと分かったので、毎日デンマークの寿司を食べられることになったと自分を慰めた。
実は、日本にいた時の私は、米の飯を食べないと食事をしたとは腹でも頭でも認めなかった人間だった。家族の者がお前は外国で生きていけないよと言っていたのを思い出した。
夕食中にふっと思い出して「豚どもの夕食は?」と豚の真似をして聞くと、ポールが自分がやったと答えた。豚は一日二食だけだということを知った。デンマークの養豚営農は世界一である。彼らはランドレースという胴長で肉付きのいい豚の品種改良に成功したのだ。日本との貿易収支は世界中ほとんどの国が赤字であるのだが、デンマークはEU内にあってイタリアとともに日本に対して黒字だが、これもこの豚によるところが大きいといっても過言ではない。私が育てた豚を皆さんの誰かが食べたかもしれない。
・屋根裏の小作人部屋で−思わず歌った「ふるさと」の歌−
夕食を終えると家族の者がテレビを見たりしていたが私は疲れ果てて自分の部屋で一人になりたかった。言葉が通じないと相手が、家族の者が何を話しているんだろうと絶えず想像力を働かせなければならないので精神的にも疲れた。
屋根裏の小作人部屋に入ると自分の世界である。日本の家族や友人に手紙を書きたいと思ったが、農家の一日の仕事を終えるとそれどころではなかった。机に向かったまま寝てしまった。
豚の世話、畑の耕作、じゃがいも蒔き、除草、畝よせ、と毎日の日課も覚えてくるにしたがって、葛藤も大きくなってくる。
特に豚の肥やし出しをしているとき、「何で俺はこんな臭い仕事をしなければならないのか?」と自分に問う声が聞こえた。私の顔をみた豚どもは喋るのだ。「お前はおれたちの国の社会福祉を学びたいそうだがデンマーク語もろくに喋れないじゃないか!」ち生意気な一匹、「福祉の勉強なんて出来る訳はない!おまけにお前は金もないだろう!教育費はタダだが生活はどうするんだよ」とにらむ屠殺寸前の長老豚。まさに豚(とん)走したい思いにかられた。
男たる者志しを立てて故郷を出たらおめおめ豚などに負けて逃げるわけにはいかない。思わず我に帰った私は、豚どもに大声で俺は豚じゃないぞ、兔を追った故郷を出て来たのだとばかりに「ふるさと」の歌を歌ったのだった。・8月、新学期が来て 農家に入って三ヶ月ごろからなんとか家族が喋っている日常会話が想像力の助けを借りて多分こんな事を言っているのであろうと分かるようになってきた。
8月になるとデンマークは新学期である。長女のマーキットが一年生として国民学校に行き始めた。担任の先生に自分の家には日本人がいると話したのだろうか、しばらくしてポールが「英語を話す先生だから訪ねてみたら」と言ってくれたので車のない私は農作業用のトラクターに乗って三キロ離れた先生のお宅を訪ねたのだ。先生の奥さんはマレーシア人で大戦中、日本軍人に両親を殺されたと言った。
この手記は月刊「権利闘争」(権利問題研究会発行)にて連載されたものです。転載の許可をいただきました関係者の方々に感謝いたします。