velkommen til

 

・アジア人だから東洋的な食事を

 

 「大戦中に両親を日本人に殺された」と言いながらも、奥さんが決して私を責めようとしているのでないことは彼女の表情から察せられた。私は同じ日本が、と申し訳なく思ったが、同時に同じ日本人ではあるが殺したのは私ではない、その私がなぜ謝らなければいけないのかと思った。奥さんだって私が日本人であることを承知の上で呼んでくれたのだ。私に謝罪を求めるために呼んだのではない。そう自分で納得したとき私の口から
 「ご両親を日本兵のために失われお怒りでしょう。I am so sorry」という言葉が出た。
 「あなたに謝ってもらうために来ていただいたのではないのよ、私はデンマーク人と結婚して、こうしてデンマークに住んでいるけれど、あなたも私も同じアジア人だから今日は東洋的な食事を作ってあげるわ」
 この言葉を聞いて、私の中のわだかまりは消えた。
 旦那さんの先生の名はヨーン、苗字はヨーンセン。奥さんはリタ。マレーシア人には違いないのだが英国人と混血なので顔つきはヨーロッパ型で、髪も見事な金髪をしていた。

 

・「ミスターと呼ぶのはやめてくれ」

 

 「Mr.Jogen, may I ask…」
と言いかけた途端に、
 「ミスターと呼ぶのはやめてくれ、ヨーンとだけ呼んでくれていいんだ」
 「?????…。日本の中学校で英語を習った時、Mr.を付けて呼びなさいと言われたのになぜ?」
 「君と僕とは対等、人間としてイコールなのだから!」
 なるほど!これがヨーロッパの人間平等性ということなのか。26年間も住んでいた日本から来た私は、デンマークに来ても先生である目上の人を呼び捨てにすることに抵抗があった。
 そういえば農場主ポールも、先生でも、警察署長でも、医者でも臆することなく互いに対等に話していたことに気がついた。名前を呼び捨てで呼び合う仲に、日本のさん付けと同じ意味あいがあると生活を通して納得するまでにはさらに期間を要した。
 ヨーンとリタの家での夕食は外米のご飯をカレーで炒めたようなものだった。ものすごく辛かったことを覚えている。
 夕食後にやはりヨーンから聞かれた。
 「千葉、おまえは何しにデンマークに来たんだ?」
 毎日豚と付き合っていると、学校へ行って書物と付き合ってみたいとひしひしと思うものである。
 「実はデンマークの社会福祉を勉強したくて来たのだが…、デンマーク語が出来ないので多分に欲求不満に陥っている」
と私は言った。
 「ハムレットのモデル城のあるヘルシンガーという町にインターナショナル ピープルズ カレッジという学校があって、そこでは英語で授業をやっている。そこへ行ったらどうだ」
と助言してくれた。

 

・初めて国民高等学校を訪ねた

 

 次の週末にその学校を見に行こうと誘ってくれた。むろん私は一も二もなく大喜びで彼らの車に便乗して学校を訪ねた。
 その学校は全寮制で世界中の国から来た若者達が自分が一番学びたいことを主に学んでいた。在学期間も三ヶ月と六ヶ月あり、手始めの勉強の場として手ごろであった。
 この学校が世界に例のない国民高等学校(市民大学)の一つであるということも、この種の学校は今から154年も前にデンマークに出来たことも知らなかったが、ただひたすらに私は豚から解放されたかったので、その場で半年先に席のある学期に入学を申し込んだ。問題は授業料の支払いだ。デンマークでは一般に教育費は無料だが、この種の学校だけは有料である。
 農場に住み込んだ時点で日本から持ち出した500ドルの残りをデンマークのアンデルス銀行に預けておいた。その分がちょうど三ヶ月分の授業料になる計算だ。
 ところでアンデルス銀行とは農協銀行のことである。そういえば、デンマークはイギリスと並んで18世紀の後半にいち早く農業協同組合を作った国でもあったのだ。農業協同組合運動が社会福祉国家への基盤を築いていったということもそのころは知らなかった。
 半年後の1968年1月から学校へ行けると決まって、それまでにできる限りデンマーク語を憶えようと励みもつき、毎日の豚どもとの面会もあまり苦痛ではなくなった。

 

・家族の間で割り切る金銭関係−じゃがいもを買いに来たポールの妹−

 

 夏から秋にかけての農場での大仕事は農作物の収穫作業である。じゃがいも、ライ麦、とうもろこしetc。収穫もすべて機会でやるのだ。じゃがいもなど手でしか掘ったことのない私にはトラクターで牽引するロータリー式の芋掘り機は珍しかった。私の仕事は石ころとじゃがいもを選別して箱詰めにすることであった。
 収穫したじゃがいもは摂氏4度の収納庫に集積され出荷を待つ。そんなある日、コペンハーゲンからポールの妹が訪ねて来て、帰りがけに主食であるじゃがいもを10キロばかり買いたいと言った。私が10キロ測って渡すとポールの妹さんは「おいくら?」と聞く。「えー、妹さんだものタダじゃないの」と思いきや、ポールはしっかりとじゃがいも代金を妹さんから受け取ったのである。日本的に考えると妹には主食の米なぞくれてやるだろう。日本的考えとはなんなんだと以後生活を通してデンマークと比較して考えるようになった。
 親子、兄弟間でも金銭的にはマアマアという関係はなく、割り切って付き合いが行われていると知って、驚いたり、感心したりであった。一般的にヨーロッパでは金銭に関しては個人と個人の関係であり、血のつながりは関係ないというこだ。
 そういえば割り勘のことを英語で言えば、Dutch treat,Let's go Dutch だから、もしかしたらオランダ人はデンマーク人よりももっと金銭に関しては割り切っているのかも知れない。日本でも親子、兄弟であっても金の切れ目は縁の切れ目とやら言われているので金銭関係に関してはヨーロッパ人に学ぶところも多少はあるだろう。
 しかし、この金銭関係で逆に物足りなさ、寂しさを感じる時もある。私の息子、娘がいまだ10代後半なのに、親の私に対していつもお金を貸してくれと言う。毎回では困るが、たまには子供に小遣いをあげたいと思う日本的な気持ちが崩されて、何か割り切れないものが残るのだ。

 

・デンマーク人は働き者。日本農業は庭仕事?

 

 8月の中旬ごろから麦の刈り入れが始まる。刈り入れといっても鎌で刈るのではない。戦車みたいな大型のコンバインで5メートルくらいの幅を一度に刈っていくのだ。コンバインは刈り入れと脱穀を同時にやっていくのでコンバインの側をトラクターに牽引されたワゴン車が走り、脱穀された麦はワゴン車に山盛りになるまで積み込まれる。麦の収穫はいちばん乾燥した日を選ぶので収穫日は夜遅くまで作業が続く。身体中に麦の穂が刺さり、鼻腔は埃で詰まる。のどは渇くし、作業終了の声がかかるのがものすごく待ち遠しかったことを思い出す。脱穀が終わった麦わらは後からついてくる麦わら束ね機で四角い束にされ、積み木を置いたように等間隔に並べられていく。更にその後に続く他のワゴン車に積み上げられ、畜舎の二階の納屋に収納される。デンマークの農民は本当に働き者だ。
 デンマークでは一軒の農家は平均30ヘクタールくらいの土地を所有している。あるとき日本の農業視察団が来てデンマークの農協中央会で懇談会が行われた席上、日本の農家の土地の平均所有面積をデンマーク側から聞かれ、日本側が「3〜5アールくらい」と答えたら「そんな面積では農業じゃなくて庭仕事だ」とデンマーク側。日デ双方大爆笑となった。

 

・焼きじゃがと落ちりんごで得た満足感

 

 私のいた農場では11月に入ってもじゃがいもの収穫が終わらないくらい沢山のじゃがいもを作っていた。寒風に凍えながらじゃがいも選別機の上で作業したものである。白夜に近い夏の日があったのに、このころになると日はめっきり短くなり、午後三時を過ぎると薄暗くなる。視界が悪くなると外での農業は危険なのでじゃがいも収納庫で大きさ別に分別する作業が行われた。この作業は一人でもできるので私によく任されたものだが、私にとっては楽しみでもあった。とにかく、農作業は腹が減ってしようがない。ましてや使用人である私は家族と一緒の食事のときにあまり食ってはいけないだろうと勝手に思い込んでいたのでいつも空腹であった。この一人のときがたらふく食うチャンス。室温摂氏4度を保つため、冬の暖房用にヒーターがあったのでそれでじゃがいもを焼いて食べたのだ。この次は塩をポケットに忍ばせておこうなどと思いながら…。
 「千葉、今日はいつもより食べないけどどうかしたの?」
 夕食時、案の定マリアに指摘されてしまった。
 「何でもないよ」
と答えるとき、じゃがいもで満たされた満腹感と外国にあって私を気づかってくれる他人の存在。私はしみじみ、
 「あア〜、今日は幸せだなア」
 満腹感といえばもう一つ。この農場の庭には大きいりんごの木が二本あって沢山実を付けている。秋風に振り落とされ、芝生にごろごろしているりんごを段ボールの箱に拾い集めておくのだが、控え目に食べた夕食の後、勝手にりんごを屋根裏の自分の部屋に持ち帰り、私だけの食後の果物としていただく。りんごの気持ちは良く分かると言うが、この私の満腹感と満足感を、食べられたりんごは良く分かってくれただろう。

 

・お茶の会に呼ばれたが

 

 月に2〜3回夕食後、ポール家では兄弟や知人宅を訪ね、コーヒーを飲む習慣があるらしい。お茶に呼ばれ、呼びあうというやつだ。私はそのたびに連れていかれ、行き先の家族に紹介されるのだ。多分ポールはこんなふうに私を紹介しているのであろうと想像した。
 「俺のところには日本人の使用人がいる。それが千葉だが、千葉は俺のところで農業を学びたいと言っている。千葉は高等学校を出ているんだぜ!」
 高等学校くらい出ているのは当たり前と思っていると、
 「ヘエー、何でまた高等学校を出て百姓をやりたいのかねエー」と友人。後で分かったことだが、デンマークでは高等学校進学率は25%前後(現在35%ぐらい)。高等学校は国民学校(日本の小中学校をあわせたもの)卒業後、上級学校にし進学する者だけが行くのだ。日本のように猫も杓子も高等学校に行くのではない。高等学校教育を必要とするものが行くのであって、決して実のない学歴をつけるためのものではない。
 はじめの頃はこのお茶呼ばれも興味があったが、だんだんと苦痛になってきた。彼らの談笑に付いていけないからだ。たまに「チバ」という音を聞くとアッ!誰かが自分の事を話していると身体中を耳にするのだ。疲れる。屋根裏の部屋に一人でいたい。訪ねた先で緊張しながらケーキを食べるよりも、殺風景な部屋だけどゴロンと寝そべって船便で送られてきた二ヶ月前の日本の新聞を読みたい。活字が恋しい。
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この手記は月刊「権利闘争」(権利問題研究会発行)にて連載されたものです。転載の許可をいただきました関係者の方々に感謝いたします。