・日本の詰め込み教育に感謝した!
正直、いろいろな科目を受け持つことが出来たのは、日本で私が受けた詰め込み教育のお陰だと言える。芸は身を助けるというが、ただ丸暗記したことがこんな形で役に立つとは夢にも思っていなかった。 日本の教育制度に対していつも悪態ばかりついている私だが、この時はおかげさまでした、と思ったものである。自分が日本で受けた教育を必死に使って、外国で生き延びる糧にしただけであったのだが。 この国民高等学校で約1年間、教師兼学生で過ごした。当時タバコをすっていたいた私は、タバコ銭もない状態であった。
「チバ、給料を出そうか?」
「はい、いいえ…、私は自分で満足いく仕事をしていませんので、給料はいただきません」
「しかし、君はタバコをすうだろう」
「はい、すいます。でも…」
悔しいかな、お金がないとは言えない日本人であった。
「正規に給料を出さなくても良いなら、タバコ代だけでもあげようではないか」
「はい、いいえ…」
のどから手が出るほど欲しかった。煙になるお金だけど、欲しいと言えなかった自分はいまだ日本人だった。しかし、ヴィンター校長は毎月、私に彼のポケットマネーから、当時(30年前)のお金で日本円にして1万円くらい出してくれたのであった。
デンマークの初級英語クラスの学生たちからは、英語の教師としては発音が悪いと指摘されながらも、語学というものは意思の疎通が肝心であると貫いた。他の科目は丸暗記を解凍して教えた。体育は体力に自信があったので、「俺についてこい」とばかりに身体を張った。
日本人として、教師として教える対象であるデンマーク人から、ダメ教師とだけは言われたくなかった。
・デンマークの厚生大臣に手紙を書いた
こうして1年が過ぎてみると、私は社会福祉を学びにデンマークに来たのだが、それにまったく触れてないことに改めて気付くのであった。それはある種の焦りみたいなものであった。否、本当の焦りであった。
私は当時のデンマークの社会大臣(日本の厚生大臣にあたる)に手紙を書いた。
拝啓
私は貴国デンマークの世界に冠たる社会福祉を学びたく日本から来た者です。まず手始めに学問的に学ぶより、社会福祉の現場で実践すべきものと信じています。しかしながら、私はその現場を知りません。もし厚生大臣のお力でデンマークの社会福祉の現場で仕事が出来る機会をお与えいただければ、この上ない幸いに存じます。
敬具
この手紙を出して数日、果たして厚生大臣に手紙を出して返事が来るものかと、我ながら疑問に思っていた。
そしたら、来ました!来たんですよ!デンマークの厚生大臣は、どこの馬の骨とも知れない日本人(馬)からの手紙に答えてくれたのである。 「貴方の手紙受け取りました。デンマークの社会福祉施設で働きたいとのことですので、以下の施設を紹介します」 大臣に紹介された施設は、癲癇(てんかん)患者収容施設であった。デンマークに来て3年目。やっと社会福祉施設に触れることが出来ることになって、私もこれで気分転換になったのである。
・癲癇患者施設ではたらく
この癲癇患者の収容施設は、社会福祉施設というより、病院に似ていた。子供の棟、青年の棟、壮年の棟、老人の棟と分かれており、全員で1500人くらいが収容されていた。
その名も「コロニアデイアナロン」と呼ばれ、町全体が癲癇患者のコロニーみたいなものであった。職員はデイアコン(神に使える者)と呼ばれ、3年間看護婦とほぼ同じ程度の教育を受けた者が勤務していた。その教育を受けた者は白いユニホームを着ていたが、私は教育を受けていなかったので補助職員用のカーキ色のユニホームを着用させられた。
デンマークで初めて勤務する社会福祉の現場で、しかも初めて正式に月給をもらえる職場だったから、ユニホームの色など気にかからずむしろ喜びと期待で一杯であった。
・トイレの金具を端から磨く
私が最初に配置されたところは老人の棟であった。朝の起床から夕刻の就寝まで、老人の日常生活のお手伝いをするのが仕事であった。勤務時間は1日8時間で当然交代制であった。
昼食後、老人たちが午睡に入ると、私はひまになるのでトイレに入った。用を足すためでなく、トイレにある金具類を片っ端から磨きあげるためだった。毎日少しずつ光っていくトイレに、職員は誰がやっているのだろうと疑問を持ち始めたようだった。
3カ月、老人棟にいる間に、老人棟のすべてのトイレが施設一ピカピカになったものだから、私は優秀なトイレ掃除人として有名になってしまった。3カ月ごとに他の棟に勤務する約束だったので、最初の3カ月が終わるころには各棟から引っぱりだこであった。不思議とトイレ掃除をしていると、その棟の状況がよく把握できるものである。こうして3カ月ずつ老人、壮年、青年、と棟を変えて勤務していたら、思いがけない命令を受けた。
・専門の教育を受け、正規の看護職員に
デイアコン教育課程の最終の3カ月課程に編入せよとの命令だった。その日から看護学生と同じ白いユニホームを着用したが、このときは、なんとなく偉くなったような気がしたものである。
この最終課程では看護学もさることながら、倫理、道徳、宗教の講議が多かった。
あまり神を信じない私にとって、特に宗教の時間は苦痛であったが、学問として理解しようとしなければならなかった。苦痛とは思わなかったが、トイレ掃除より楽だし、なんと言っても給料をもらえるのだから神妙に授業を受けた。そのお陰で食事前のお祈りの文句も覚え、農民に感謝の気持ちを捧げてから食事することができるようになった。
この課程を終えてからちょうど一年経ったとき、再び各棟からお呼びがかかったが、私は他の違った施設で働きたいと、施設長に申し出た。学校で学問的にデンマークの社会福祉を学べない段階の自分は、いろいろな施設で働くのが一番であると考えていた。
施設長もおおいに残念がってくれたが、私の目的を理解し、希望通りコペンハーゲンの養護施設を紹介してくれた。
・高級住宅地に12人の養護施設
養護施設は当時「子供の家」と呼ばれており、3歳から15歳までの男女の子供たちが住んでいた。その施設に私は住み込みで働くことになった。デンマークに来て4年目である。
私が住み込んだ子供の家はコペンハーゲン郊外のクランベンボーというところで、鹿公園と呼ばれる森の外れにあった。鹿はデンマーク語でshika-hjortと呼ばれていることから、多分ご先祖様は日本から輸入されたのであろう。
この鹿の森には王家の狩りの館や、バッケンと呼ばれるチボリ公園のような遊園地も近くにあり、奈良公園のようにいつでも鹿に出くわすことができた。スウェーデンを対岸に望む高級住宅地がこの鹿公園のはずれから、ハムレットのモデル城があるヘルシンガーまで続いている。
この高級住宅のうちでも一番大きい土地の一つをコペンハーゲン市が買収し、子供の家にした。広い芝生の庭の海の向こうにはスウェーデンが見える一等地であった。子供は全部で12人いて、低学年の子供たちは2人部屋であったが、高学年の子供たちは個室だった。
施設長は昔、この館の主が住んでいたと思われる見晴しのいい大きな部屋に住んでおり、私は多分昔小使いが住んでいただろうと思われる部屋をもらった。
施設長は幼稚園教師の資格を持っている女性で、子供たちからブライアモア(お世話してくれるお母さん)、つまりお母さんと呼ばれていた。
・子供たちの生活指導を担当
私は日本で一応教職を取っていたので、生活指導員ということで採用された。
デンマークの施設勤務職員は生活指導員になるため3年半の専門教育を受けなければならない。私は教員免許を持っているということで、生活指導員と同じ待遇で採用されたのである。
仕事は当然ながら、ここでも子供たちの日常生活指導ということになる。子供たちの家庭は未婚の母(父)、アル中、精神疾患を持った者と複雑であった。
朝起こして夜寝かせるまでの間の生活指導を、親代わりとなってするのが仕事。幼稚園や学校に行く子供の送迎や宿題の手伝い、あるいは学校に行きたくない子供には家庭教師的なことをやり、余暇には一緒に遊んであげたり、散歩に行ったりと様々であった。
中学生くらいの子供は英語を読むことができる。その子供が、壊れたおもちゃを私のところに持って来た。
「チバ、これ、made in Japanだから直せ!」
「え!なんで」
外国に住んでいると自分に関係のないことでも日本のことを何か悪く言われると、それに対して自然と弁護したくなる。おもちゃの場合も、当時日本製品は壊れやすいとよく言われていたので、子供に言われたおもちゃも勤務後、自分の部屋に持ち帰り、時間を掛けて直し、何とか動くようにしたものだ。
翌日子供におもちゃを渡すとき、私がこの施設に勤めている間だけは、壊れないでほしいと祈るような気持ちだった。沢山あるおもちゃの中には、made in Japanも沢山あり、今度はいつ子供たちが私に直せと持ってくるかと不安な日々でもあった。そのころ日本製品は一般に安かろう悪かろうであまり評判がよくなかったのである。
・日本よ、欧米に負けない労働条件を
ところが30年後の今では、日本製品は高品質、高性能でかつ安い。対日貿易収支は世界のほとんでの国が赤字なので、日本人はもっと休暇を取るべきだなどと、のたまうのである。
週37時間しか働かず、週末には丸2日休み、年間5週間の休暇をがっちりとっている者から、毎日残業、週休2日もままならずで、年間の休暇も1週間とれたら良い方という労働条件から生産された日本製品にケチをつけられると、またまた彼らに反発したくなるのだ。日本製品に勝ちたければ自分たちの製品を安くしたらいいではないかと。
しかし、彼らはそれに対して日本人は働き過ぎる、というばかりである。
確かに、日本の労働条件は欧米にくらべると悪い。その悪い労働条件の中から高性能、高品質を生み出しているのだが、ヨーロッパ人に働き過ぎと言われると、彼らに、あなたたちは休み過ぎと言ってやりたくなる。
しかし、口惜しいかな、彼らの言うのも正しいのである。日本の労働条件もヨーロッパ人が持っている労働条件、人間の権利を満たすようにしなければならないのだ。