・生涯の師、ヴィンターとバンクミケルセンに出会う

 

 3年間知的障害児の入所施設に勤めたが、この間に生涯の師と仰ぐ2人のデンマーク人に出会った。一人目はN・F・S・グルントヴィの思想、全人教育の真髄を教えてくれた国民高等学校のヴィンター校長であり、二人目がノーマリゼーションの提唱者N・E・バンクミケルセンである。
 二人の師は私がデンマークの社会福祉を学ぶにあたって、教室では学ぶことの出来ない「福祉の核心」となる「人間の心」をまったく別々の方方で教えてくれた。ヴィンターは私に決して解答を与えないことを答えとし、バンクミケルセンはいつも明確な答えを与えてくれた。
 バンクミケルセンとは彼が社会省の社会福祉局長のとき、ちょうど当時私の職場が知的障害者の施設であったので仕事の関係で出会い、その後自宅に招かれるなどして師弟関係というよりも家族付き合いのような形で進んでいった。

 

・ノーマリゼーションとは、障害者の生活を可能な限り健常者の生活に近づけること

 

 「ノーマリゼーションは決して難しい学問などではなく、人間として為す自然の義務である」。ややもすると提唱者本人の意図に反し、難解な原理のように受け取る人がいるのは不思議である。
 「障害者の生活条件を障害を持たない人の生活条件に可能な限り近づける」
 これがノーマリゼーションである。不可解な点はなに一つない。いつも優しい眼差しで易しく話してくれた。何人も「住みよい国」とを願うのであるが、その基盤は社会福祉にある。その社会福祉政策を実施するにあたり、人々は四苦八苦しているが、「為政者、行政官を問わず、何人も自分が障害者、老人になったときにいかに処遇してもらいたいかを問うたら、その答えはおのずと出る」。明快そのものである。私はこの何でもない当たり前のことをなるべく多くの日本人に知ってもらいたいと思うようになり、日本からの研修団が来るたびにバンクミケルセンを社会省に訪ねたり、あるいは講演に来てもらうように努めた。
 話は進んでしまうが、バンクミケルセンに1990年8月24日、日欧文化交流学院で講演をしてもらうために自宅に迎えの車を差し向ける旨何度も申し上げたが、「電車で行くから大丈夫」と断られた。この日が師の「ノーマリゼーション」の最終講義となった。そのときの受講者は後に「ノーマリゼーションの父、N・E・バンクミケルセン」を執筆した和泉短期大学学長、花村春樹先生以下社会福祉教育関係者であった。

 

・バンクミケルセン記念財団を創設

 

 バンクミケルセンはその日、ロスケルの自宅に帰宅直後に再入院した。奥様から「チバのところに行ったので悪くなったとは思わないでね。ニルスエリックはあなたのところへ行くのを本当に楽しみにしていたのだからね」と言われた。しかし無理をされたのではと気がかりで、全快を祈っていたのであったが1990年9月20日正午過ぎ、奥様から電話があり、「チバ、ニルスエリックが今日11時45分亡くなりました。一週間前から在宅療養をしていて、私たち家族に見守られて苦痛なく逝きました。彼があなたのところへ行ったこととこのこととはまったく関係の無いことですから気にしないでね」と。「ご愁傷様です………。バンクミケルセンのお陰で生活条件が良くなった日本の障害者たちの意を汲み、お悔やみ申し上げます」
 「自由、平等、共生、連帯」
 社会福祉の基盤になる民主主義の精神を可能な限り自ら範を垂れ、教えてくれた師を失ったことは無念であった。「ノーマリゼーションはヒューマニゼーションである」と最後に私に言った当たり前の言葉「人間性」、師の教える当たり前の「人間」になるよう努力することを霊に誓ったのである。そして地球上のすべての障害者の生活が障害を持たない人の生活に可能な限り近づくことを願い、これを達成させる目的でN・E・バンクミケルセン記念財団を創設した。
 記念財団の第一の目的は、障害者の生活、処遇改善などに貢献した人を選び、バンクミケルセン記念賞を授与することである。財団発足以来、日本人やデンマーク人に記念賞を授与しているが、財団とは名ばかりで財は無く、基金は財団の趣旨に賛同して下さる方のご厚志と私の講演謝礼などでまかなっているので、ノーベル賞のように毎年受賞者を選び、記念賞を授与できないのが残念である。バンクミケルセン記念賞を福祉のノーベル賞にしたいのが私の夢である。第二の目的は、障害者のための研修実施、情報交換、福祉機器を開発する機関(INSTITUT)を設立することであるが、この事業も財が無いのが玉に傷でなかなか進捗しない。

 

・高い税金は必ず全国民に還元

 

 さて、話を戻そう。デンマークに住んで初めて家を買うのだが、買う前は借金を毎月払えるだろうかと心配したが、賃貸アパートに住んでいると? ォと同じくらいの月払いで済むのは、やはり課税対象になる収入が家屋を借金によって購入するので控除額が大きくなり税金を払う額が低くなるからである。
 たとえばデンマーク人は収入の約半分50%を税金で払うと言われているが、実際には50%まで行かないことになるのだ。月収30万円の者は15万円税金かというとそうではないのである。この個人控除額が大きく左右するのである。借金をすると控除額が多くなり、納税額が少なくなるのである。
 (総収入30万−控除額5万)×50%=250000×0・5=125000
 したがって収入の半分は必ずしも税金ではないという証明である。しかし、消費税が25%の国であるから高税の国には変わりない。この国のことを「高福祉高負担」と日本人は呼ぶが、デンマーク人は負担と思っていないのだ。必ず国民すべてに何らかの形で払った税金は戻ってくるからである。即ち、教育費、医療費、国民年金、などなど。デンマークは「高福祉高負担」の国ではなく、「高福祉高税」の国民が連帯、共生している国と言えるのだ。

 

・夜の時間帯、どう一緒に過ごすかが問題

 

 新しい職場で私を待ち受けていたものは閉鎖棟の8人の少年たちと7人の生活指導員に2人の木工作業所指導員であった。少年たちは刑法に触れる行為をした者が、刑務所に送ると先輩服役者から悪知恵を授かるので刑務所ではなく、社会復帰を期待し、社会福祉施設に入所と判定された者であった。他には刑法が適用される前の年齢即ち15才未満の者で犯罪を犯した者が観察期間として最大3ヵ月閉鎖棟に入所させられた者であった。私が勤めて2年間は少年のみで少女はいなかったが、3年目にはなんと私と同じ誕生日の女の子が観察のために入所してきた。
 入所者たちの日課は、朝7時起床、朝食後昼食まで閉鎖棟内にある木工作業所で家具作りなどの作業、勉強したい者は教師が閉鎖棟に来て授業をする。午後も5時の夕食前まで同様の作業をさせられる。夕食後は自由時間となるのだが、所詮囚われの身なので就寝時間の午後11時までは時間を持て余すのである。生活指導員はこの時間帯をいかに彼らと過ごすかに工夫を強いられるのである。二人の生活指導員と8人の若者たちが閉鎖棟で5、6時間くらいを同時に過ごさなければならないのである。この時間帯をどうしたら事故無く、若者たちに満足してもらえるかが生活指導員の力量となるわけだ。

 

・8人の非行青年に「一人ずつかかって来い」

 

 私は採用面接試験のときに、柔道を少年たちに教えると言っていぶかしがられたが、仕事を開始してみると時間と体力を持て余した若者たちの鬱憤が充満していて、いつ爆発してもおかしくない状態であることが分かった。私は職員会議で再び提案した。
 「夕食後の自由時間に柔道を教えたい」と。
 当初反対してい職員も、「もし暴力行為が出た場合は私は責任を取って辞める」とまで言い切ったので賛成してくれた。閉鎖棟の地下室のコンクリートの床には畳がないので体育用のマットを敷き、柔道着はなんとか調達し、訓練を開始した。若者たちはエネルギーを持て余しているので全員喜んで参加した。彼らはすぐにも取っ組み合いをしたがったが、何よりも先になぜ柔道を訓練するのかを彼らに説明した。この説明中にこそこそ話が聞こえるのだ。
 「俺達全員でチバに立ち向かえばやっつけられるな」
 「チバをやって脱走しようぜ!」
 なんとも不気味なことを話しているのである。同じ時間帯に勤務している同僚の生活指導員は新採用の女子職員なので力関係では絶対にかなわないことは明白だ。私はデンマークの若者たちと勝負に出た。彼らは8人一度に私と戦いたいと言ってきた。
 「俺たちみなとチバで試合をやろう!どうだ?」
 デンマーク人の少年といえでも体格が私と桁違いに大きいのだ。上から見下ろすように言われるとさすがに内心臆病風が巻き起こるのだが、自分はこれをやりたくて採用してもらったんじゃないかと肝を据えたのだが、それにしても一度に8人相手は火を見るより明らかで無理なのだ。
 「君たちは男だろう。金玉ぶら下げた男だったら一対一で来い。一人ずつであったら全員相手にする」
 これはデンマークの非行少年にも訴える力があったようで、さすがに全員では襲ってこなかった。私は彼らに強くなれ強くなれと訴え、武士道を説いたつもりだった。幸いにこの施設に勤務している3年間は柔道を訓練したのが原因になる暴力事件は一件も起きなかった。

 

・幼稚園では読み書きを教えてはいけない

 

 施設勤務の常で日勤、準夜勤、宿直とシフト制に入り、私が家にいるときは妻が近くの工場にパートタイムで働きに出た。子供たちにとってはお父さんが買えって来るとお母さんが出て、お母さんが帰って来るとお父さんが出ていくという私たちにとっては合理的な共稼ぎ生活だった? ェ、彼らがどう思っていたのか知る由もない。しかし一日中どの時間帯をとっても、子供たちのそばに私たちどちらかの親がいたことは事実である。私たちの子供たちは二人とも保育園や幼稚園に行ってないのはそのためである。
 デンマークでは保育園は0才から3才まで、幼稚園は3才から6才まで行くが、6才から7才までの一年間は幼稚園学級というクラスに行く制度がある。この幼稚園クラスは通常の国民学校の一年生の下に位置するもので、義務ではないが95%以上の子供たちが通学している。デンマークの幼稚園では読み書きを教えてはいけないことになっているが、この幼稚園クラスでは教えてもよいことになっている。しかし、あくまで幼稚園クラスの目的は子供たちが小学校にソフトランディングできるように学校に慣れさせるためのものであるので、社会化のための遊びが主となるが、教育的な遊びが大部分を占めるのは当然である。6才になる長男の健は1982年8月の新学期からこの幼稚園クラスに通い始めたのである。日本にない教育システムなので私自身大いに興味を持ったものである。
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この手記は月刊「権利闘争」(権利問題研究会発行)にて連載されたものです。転載の許可をいただきました関係者の方々に感謝いたします。