・30分の押さえ込みでギブアップ
「ナイフをよけろ!」と妻に命じた。袈裟固めに入ってもミカエルは自由の効く手で髪を引っ張るやら引っ掻くやらの大暴れ。私は時間の問題だと押さえ込みを続け、妻には「押さえ込みに入ったからもう心配するな」と言った。
彼女は子供たちと生活している自分の家でこんなことが起こって、かなりのショックを受けたようであった。押さえ込みを30分近く続けたらさすがに大暴れしたミカエルも力尽きてギブアップ。不服ながらも大麻を返せとは言えなくなってしまった。私は駄目押しに「ナイフを没収する」と言い渡した。
少年たちがナイフを持ちたがるのは、自分が弱いからナイフを持つことで強くなれると誤解しているのである。少年たちよ本当の意味で強くなれ、強くなれ!と私はそう念じつつ日夜闘い続けた。
・ 警官曰く「非行少年の取り締まり チバがやれ」
大人が酒を飲みたくなるように、少年たちは大麻を吸いたがった。現実から大麻の魔力により逃避したいからなのだろうか。毎日夕食後どこかへ出かけ、酒を飲んだような状態で夜中の12時過ぎに「生活学園」に帰ってくる日が続いた。ボーゲンセのどこかに大麻を吸う溜まり場があるとにらみ、ある晩尾行し、少年たちが集まり大麻を吸っている場所を発見した。その場所を翌日警察に教え、取り締まってもらおうと思ったのは当然のことである。翌日ボーゲンセの警察署に行った。
「ボーゲンセの数名の少年たちが大麻を吸っている溜まり場を見つけたので取り締まりをお願いします」
対応した警官は言った。
「その場所を教えてもらっても我々は何もできない」
「??なんですって?」
「大麻を吸っても罰することは出来ないのでネー」
「ど、どうしてですか?」
「大麻を売買している現場でないと逮捕も何もできないのでネー、もしチバが売買の現場を事前に知るようなことがあったら教えてくれヨ」
私は日夜デンマークの青少年の社会復帰を願い仕事をしている。それなのに警察のこの態度はなんだ。私は次第に不快になってきた。
「あなたたち警察官は社会のために仕事をしているのでしょう!あなたたちが非行少年を取り締まらなかったら一体誰がやるんですか!」
ついに対応している警察官の机を右手拳で叩きつけながら叫んだ。
「チバ、君がやるんだよ、君の『生活学園』の教育に期待しているヨ」
胸の中で思いっきり「この馬鹿め!」と怒鳴ったが口には出さず警察を出た。フン、何が民主警察だ、少年の堕落を止められないで「君に期待している」だと。世の中間違っているのではないかとつくづく思ったものだ。
なんとこの警察官はボーゲンセ自治体の15人の議員のうちの一人であった。「生活学園」を認可するかどうかの採決のとき、この警察官議員がどちらに投票したか知る由もないが、無性に腹が立ったのがいまだに忘れられない。
日本を出るとき次兄に「外国で喧嘩をするなよ。腹を立てるなよ。相手はみな敵だ。宗教や政治論争をするな、おまえが負けるからな」と言われたことをフッと思い出したが、10年以上も外国に住んでいると、理不尽なことを言われ黙ってはいられなくなっている自分に気が付いた。デンマーク人であろうが誰であろうが、大声を張り上げ自分の意見を述べるようになっていた。たとえ相手が警察官であろうとも容赦しないという姿勢が自分の中に出来上がっていた。
・ 生徒たちの進路、自主性を尊重
「生活学園」も2年目になるとデンマーク各地の自治体の福祉課から生徒受け入れの問い合わせが増え始めた。地方自治体の認可で行う「生活学園」は定数4人まででそれ以上になると県の認可を受けなければならない。申し込みが多くなってきたので県に認可を申請、フュン県当局も2年間の実績をみているので認可はあっさりと下りた。
定員4人以上になると制度上最小単位の施設とみなされる。しかし私は最大でも6人以上受け入れることはしなかった。6人以上になるとグループダイナッミクスが壊れる恐れがあるからだ。
学園に来る少年たちは学校に行きたくない、仕事もしたくない、しかし悪さは出来るだけやるといった連中で、意志は弱いくせに身体は強くしたいと思っているのがほとんどだ。そこで身体を鍛える訓練と日常生活を何とかまっとうすれば自由とし、退園の時期も本人の意思を第一に尊重した上で自治体の担当者と調整し決めていく。
大概の少年たちは1〜8カ月以内に体力訓練がきついと不満を言い出す。
「チバ、もし俺が学校に行きたいと言ったら朝のランニングや空手の練習をしなくてもいいか?」
「君は学校に行きたくないからうちの学園に来たのだろう!もっと練習しなければ駄目だ!」
「練習きつい。俺、学校に行くから練習からフリーにさせてくれ」
他の少年の場合。
「俺、学校(仕事)に行くから練習やめていいか?」
「分かった、それじゃー君は自分で学校に行って入学許可をもらってこいよ」
「君は自分でどんな仕事をしたいのか考えた上で自分の仕事を探してきなさい」
実は生徒たちが自分でこう言い出してくるのを私は待っていた。少年たちに自分で自分の進路を見いださせたかったからである。彼らはその後も「生活学園」で生活をしながらそれぞれの学校、職場へと出かけていくようになった。
11年間の「生活学園」で60人近くの青少年が私たち家族と同じ釜のめしを食べていった。もちろんすべての子供たちが社会復帰できたわけではない。結果的にみると3分の1が完全に自立、3分の1が生活支援を受けながらも自立。フュン県からは他の施設と比べて社会復帰率が高いと評価を受けたのは嬉しかったが、残りの3分の1は元の木阿弥に復帰?となった。
・ 10年運営した「生活学園」閉園を決意
私はこの仕事をやっていく上でいつも、もし自分の息子がぐれるようなことになれば即座に辞めようと思っていた。そのうちTBSの「いきいき地球家族」という番組があり、1週間学園で撮影が行われた。番組の最後にスタッフが息子に聞いた。
「お父さんの仕事を継ぎたいと思いますか?」
「継ぎたいと思いません!」
さらに娘に聞いた。
「お父さんの仕事どう思いますか?」
「いろいろな少年たちと会えて面白いと思う」
「じゃーお父さんの仕事を継ぎますか?」
「私には無理だと思います」
「生活学園」を始めたとき、息子は小学一年生、娘は幼稚園学校に入ろうとしていた。それから10年の間、彼らなりに「生活学園」の横顔− 自分の子供たちより学園の少年たちにより時間を割いている私−をしっかり見た上での答えだったろう。子供たちのこの言葉を聞き、そろそろ「生活学園」を辞めようと思うに至ったのだった。それは子供のためばかりではない。その頃になると日本からの社会福祉研修生の数が著しく増加したからでもある。
・ 俳優の穂積隆信さん、体験入園
ある日、穂積隆信という人が訪ねてきた。聞くところによると舞台役者だそうで「積み木くずし」という本を書き、その後全国の親子断絶中の親たちから相談を持ちかけられたそうだ。個人では対応しきれないので、人をたのみ私設児童相談所を開設した。穂積さんはデンマークでは社会から脱落した少年たちをどのようにしているのか視察に来て、誰かから私のことを聞きつけ、ついでに立ち寄った。何かと話が弾んだ後、「私を『生活学園』に1カ月入園させて下さい」ということになり、穂積さんは1カ月入園し、無事退園したのだが、彼の在園中に日本の子供たちを連れてヨーロッパをキャンプ旅行し、社会復帰訓練をしたらどうかと話がまとまった。穂積さんの私設児童相談所に相談に来ている子供たち9人を「生活学園」に受け入れることにした。目的は生活訓練をしながらヨーロッパを見聞することであった。
・ 過保護と愛情不足−日本とデンマーク、グレの違い−
当時「生活学園」には3人の男子と1人の女子のデンマーク人が生活していた。彼らに日本からの9人が加わって最初の1週間が始まった。同じ年齢層の若者たち、同じ社会脱落者たちなのに自律心が日本の若者たちに著しく欠けているのに驚いた。よほど過保護に育てられたのかもしれない。過保護で親子断絶し、グレた日本の若者と、離婚が当たり前で愛情に不足しているデンマーク人の若者との自律心の相違は、離婚前までのデンマーク人の子育てが日本人よりも甘やかさずに育てたからではないか。
最初の晩、一人の日本の女の子がどうしても家(日本)に帰りたいと言い出してきかなかった。仕方がないので私は彼女が未成年なので家に電話をし、親から許可をもらいなさいといった。親との会話が聞こえてきた
「家に帰りテインだヨ!テメイ、分からねいのカヨウ!帰ってイイッテ言えヨ、バカ」
彼女が電話を切った後で私は彼女に尋ねた。
「君、今誰と話したの?」
「ハイ、お母さんです」
私には立派な日本語で答えた。
「エエッ!お母さんと?どうしてあんな乱暴な言葉づかいをするの?」
「アンナヤツ、どうでもいいんです」
「でも親の許可なしで君を日本へ帰すわけにはいかないよ」
彼女はまた家に電話をかけた。
「家に帰りテイッテ言ッテンノまだ分ンねえのかよ、今度家に帰ったらなんでもいうこと聞くからヨウ、ゼッタイニ聞くヨウ」
親は1カ月なんとか旅行を終えてもらいたいと私に訴えたが、私は親に今娘さんが家に帰りたいと言っているし、何でもいくことを聞くと言っているのだからと渋々承諾させ、急きょ帰国の便を手配し帰国させた。
残る8人(女5人、男3人)そして引率者の穂積隆信さん、「生活学園」の4人のデンマーク人と私の家族で構成されるトラベルスクールのつもりがトラブルスクールとして開幕した。