・空室なく宿泊は女生徒のみ
生徒たちはぶつぶつ不平を言い始めた。私は出来るだけその日野宿予定のキャンプ場近くまで移動することが最良策と判断した。
列車を乗り換え地中海沿岸の町までたどり着き、キャンプ場に電話をして迎えに来て欲しいと頼んだ。キャンプ場にはバスがないからできないと断られた。幸いにも佐々木がリヨン駅からキャンプ場に電話を入れていたので佐々木と穂積さんが泊まるホテルの電話番号を知ることが出来た。翌日会う場所を佐々木に連絡後、私たちはホテルを探したがバカンス最盛期のため三室しか取れなかった。女生徒のみを泊め、男子を海岸で野宿すると告げた。
たぶん文句が出ると思ったら、
「ああ、いいよ。俺たちそういうの慣れているので」
と心強い答えが返ってきた。みんなさっさと散らばり段ボールの空箱や新聞紙を集めてきた。砂浜が切れて街並みに接するところに防波堤が永遠と続いていた。その防波堤の下で野宿。日中はものすごく暑かったのに夜半は冷え込み、むしろ寒かった。睡魔が襲い、ウトウトしていると海岸警備の人が連れる犬には舐められるし、かと思うと同類の無宿者が近寄ってきてなにやらフランス語で話しかけてくるやで、まんじりともしない夜を過ごした。
夜が明けると直ぐ女性たちが泊まっているホテルのレストランに駆け込み朝食を注文した。ホテルに泊まった生徒も全員揃ったところで、
「男子生徒は偉い、女子だけがホテルに泊まることに誰一人文句を言わず野宿した。」
「寒かったすよ」
「犬も怖かったけど、変なやつに話しかけられて困ったス」
「今日佐々木さんたちに会えるっスか?」と心配顔。
「大丈夫、昨日連絡がついているから」
「アメリカとソ連の人工衛星があの広い宇宙の中でドッキングしているんだ。ここは
地球の上のたかがフランスだよ」
それでも生徒たちは不安顔を隠せない。
午前中はぎらぎらする地中海で海水浴。水着を持っていない者は海岸散歩。朝と同じレストランで昼食をとった。約束の時間午後一時近くになるとみんなの顔は外に向きだした。
デンマークから乗ってきたバスが見えたとき生徒たちは「おッウ!」声をあげ大喜びだ。私も少なからず安心した。
・今夜はM子がいない
みんなでワイワイ、ガヤガヤ、バスに乗り込みキャンプ場へ到着。テントを張り、夕食後は地元の若者たちがしていたバレーボールに参加。国際試合となるととたんに双方ともチームワークを強くした。
テントに戻り、そろそろ休もうと思っているところに生徒がきて
「M子がいません」
「エッ、よく探してみたの?」
「はい、どこにもいません」
一難去ってまた一難。M子を探すため全員で広いキャンプ場を見回るも成果なし。私は夜の十二時まで待つことにした。それでもM子が戻らないときには警察に電話をしようと思った。私と同じテントの穂積さんの顔には参った表情がうかがわれる。十二時、M子は戻らなかった。キャンプ場の事務室で電話を借りて警察に電話をした
「日本から少年少女を連れてきている者ですが・・・」
「ウィ、ムシュウ、女の子だろ?ここにいるよ・・」
「あっ、そうですか、今から連れに行きますから・・」
「ノン、ムシュウ、今日は遅いから明日の朝でいいよ」
「はい、あのメルシィ、ボオクウ」
ほっとして昨夜の野宿の疲れも重なり私はテントに戻ると直ぐ寝てしまった。穂積さんは心配で眠れなかったそうだ。翌朝キャンプ場から数キロメートル離れた警察におずおずと出頭。M子の顔を見ると無くした財布を見つけたときの何倍かのうれしさが身体に響きわたった感じだった。
・意外と親切な領事に感謝
「ムシュウ、M子は未成年だからマルセイユの日本領事館に通報した。領事がムシュウが来たら電話するようにとのことだ。
日本領事館か!これはまずいことになった。責任を問われ、いろいろ調書も書かされるだろうと思うと気が滅入った。領事館に電話を入れた。
「もしもし、私は日本の少年少女を引率してヨーロッパ一周旅行中の千葉と申します。領事は・・・」。領事が出たので「この度はご心配をおかけして申し訳ありません」。てっきり詰問されると思っていたら。
「いやー、大変なお仕事ですね。ご苦労様です」
「はぁ〜?????」
「私にも同じ年頃の娘がおりましてねェ〜。M子のことは日本には未だ報告を入れていません。日本の親御さんが心配すると思って・・・」
私はそれまで外務省の役人の冷たさに何度もあっていたのでこの領事の優しい、あたたかさにはいたく感動したのであった。彼はこれから私たちがどこへ移動するのかを聞き、ローマはちょうど同じ時期に中曽根首相がバチカン法王国を訪問するから気を付けてとまで言ってくれたのである。
M子はなぜキャンプ場から逃避したのだろう?自分が好きだと思っている男の子が他の女の子を好きになったから、面白くなくって飛び出したという答え。それにしてもパスポートも持たずプイッと出ていくとは驚きであった。
地中海沿岸を北上しイタリアに到着。なるほどバチカンの近くで中曽根首相が乗る黒色の車に遭遇したが交通渋滞には遭わなかった。
イタリアではピサ、ローマ、ポンペイ、ベニスと回ったが日本の生徒たちは何処へ行っても名所、旧跡には興味を示さなかった、彼らの関心は食べることと寝ることだけであった。ところがベニスを出てオーストリアに向かうアルプスで頂きに雪を見たとき
「おォッ!雪だァ!」
走行中寝てばかりいる生徒たちも皆起きて
「スゲー!雪だァ!」
と荘厳な自然の美しさに見とれていた。
トラブルスクールはその後スイス各地を経てドイツに入りミュンヘン、ハイデルベルク、マインツからライン下りを一日かけてやった。ライン下りは生徒たちを佐々木さんと穂積さんに任せ、私は川沿いに走る国道を一人でバスを輸送した。船よりバスが速いのでケルンに先に着いた私は久しぶりに一人になってくつろぐことが出来た。
・大人がもっと子供と対話を
今、こうしてあの旅を思い起こすと様々な光景や、生徒たちとのやりとりが鮮やかによみがえる。毎日何かしらのトラブルが起こり、それを引きずっての一ヶ月の旅であった。つっぱっていた生徒たちも同じご飯を食べて、同じ目的を持って旅をすると確かに変わった。ベニスの水辺で、星が近いアルプスの山で生徒たちは私と穂積さんと夜が更けるまでよく話をした。彼らは一様に今までこんなたくさん大人と話をしたことがなかったと言った。大人がもっと子供と話す時間を持ってやれば子供たちはグレたりしないということを彼らは教えてくれたのである。
少年院から来た男の生徒が置き手紙をしていったので原文のまま。 千葉さんへ
今までたいへんお世話になりましたコのご恩は、一生わすれませんものすゴく楽しかったです。
俺みたいに奴とつきあってくれてありがとう。
また、きます。かならず、
でんまーくにきます。
こんどデンマークにくる時は、よめさんつれていきます。
ま〜俺は、カッコイイから
きっとカワイイ女の子ですよ。
ほんとうにどうもすいませんでした。 おばさんへ
いろいろありがとうございました。もっと日本語をおぼえていてください。
ケン おおきくなれよ
ジュン かわいくなれよ 家族との断絶の中で過ごした彼が私たちの家族一人一人にメッセージをくれたのだ。一ヶ月、8500・の旅を終えた彼らがコペンハーゲン空港でもらした言葉が気になって仕方ない。
「また、あの日本に帰んのかよ〜」
つっぱり達が汚れのない涙をいっぱい浮かべながら帰っていった。