・ 教師は自由にアルファベットを教える

 

 8月上旬はデンマークでは新学期が始まる。桜の咲く4月新学期の日本とは異なり、麦畑が黄金に色づき収穫が始まり出すのもこの頃である。夏休み前まで幼稚園学級に通っていた娘・純が一年生となり、いよいよアルファベットを習い始めた。文部省からは各学校に教科書指導要綱がきているだけで国定教科書はない。したがって教師はどんな教科書を使っても良いし、教師自身が自分で教材を作っても良いのだ。要するに文部省の指導要綱にある、たとえば一年生の国語はアルファベットを学習、習得させるととあれば、教師はそれを満たす教育を実施すれば良いということである。
 アルファベットには大文字、小文字、活字体、筆記体などいろいろと記述方法も異なる。息子が一年生のときは、担任の先生が50歳代で一年生からいきなりアルファベットを筆記体で教えたのは驚いた。理由は女性の社会進出がスウェーデンと並んで世界一のデンマーク、子供が学校から帰ったとき、両親が不在となることが多々あるので、子供に伝言を書き残しておくことがある。この場合、大人は普通筆記体で書くのでそれを子供が読めるようにという理由だった。なるほどと納得いった次第である。

 

・ 先生は社会経験を積んでから教育大学に

 

 純の担任の先生は師範学校(デンマークでは四年間の中間教育は大学と呼ばずセミナーと呼ぶが、日本では教育大学と呼ぶだろう)を出たばかりの若い先生だった。若いと言っても30歳。なぜかというとデンマークの教員養成の学校(教育大学)では、高校卒からストレートに入学するのはごくわずかである。ほとんどの学生は高校卒業後、外国旅行を1〜2年間、仕事を1〜2年間あるいは国民高等学校に半年間くらい学んだ者、要するに高校卒業後、社会経験を4〜5年間積んでから入学するのである。従って教育大学の入学時の平均年齢は24〜25才と言われている。当然卒業時点では30歳前後になるわけである。デンマークでは、大人が子供を教育するのであって、子供が子供を教育することはまずあり得ない。たとえ高校卒業後18歳で教育大学に入学した者でも4年間を通して同期の社会経験豊富な学友たちから大人にされるからである。

 

・ 担任は6年・7年まで持ち上がり 

 

 健も純も担任の先生は国語(デンマーク語)の先生である。1週間に一番授業の持ち時間が多い先生だからだ。また次に持ち時間が多い先生が副担任となるので、副担任は数学の先生と決まっている。担任・副担任は普通六年生あるいは七年生くらいまで持ち上がりであり、時には九年生まで持ち上がることもある。教師には転任がない。よほどのことがない限り定年まで同一学校に勤務することが出来る。
担任が六〜七年生あるいは九年生まで持ち上がるということは、それだけ長い期間自分の学級の生徒を観察指導できるので、日本で起こるような校内暴力、いじめなどは皆無といってよい。
 さて、純の若い?担任の先生はアルファベットを活字体で教えた。活字体であれば誰も読み間違いをしないからという理由である。子供たちの親にも伝言を子供に書くときは活字体で書いて欲しいといった。なるほどなるほどとまた驚かされ、感心させられたのである。
 低学年のときは試験(テストはある)も通知表もないので子供の理解力がどのくらいなのかわからない。これは年に2回ある親との面談で知らされるのである。面接日に学校へ行くと担任、副担任から子供の学校における態度、授業の理解度まで教えてくれる。事前に希望すれば正副担任以外の教科担任の先生とも面接することが出来る。子供たちの学校教育を通して私はいろいろなことを教わった。

 

・ 夏休み、学業は休み、家族と様々な勉強を

 

 息子が一年生の夏休みになる前日のことは今でも苦い思いでとして残っている。
明日から夏休みと息子が学校から手ぶらで帰ってきたので、
 「宿題は?」
 「何もないよ」
 「そんなわけないだろう。これから2ヶ月近くも休むんだから}
 「本当にないよ」
 「嘘だろう」
 これを聞きつけた妻が私に
 「夏休みってどういうこと?」
 「夏休みは夏の休みだろう」
 「そうよ。今まで学校に行って勉強していたんだからこれからは休むのよ」
 「何だって・・・」
 無性に腹立たしさを覚えていたが妻のいうことが正しい。なるほどこの夏休み期間は学校で勉強できないことを家族と一緒に学ぶのだ。旅行に行ったり、博物館に行ったり、あるいは音楽会に行ったりするのだ。国語、算数、理科ばかりが勉強ではないことを思い知らされた。
 私はデンマークの教育のやり方を信じることとし、息子には勉強しろとは一度も言わないことにした。内心は気になってしょうがなかったのであるが。
 八年生になると模擬試験が行われるが、これも成績順を決めるためのものではなく、九年生で国が実施する卒業試験の準備運動みたいなものである。九年生の試験は各科目の筆記試験と口頭試問があり、筆記試験の採点も口頭試問もほかの学校の先生がするので非常に公平である。デンマークが世界一汚職や贈収賄の少ない国と言われるのはこの試験の採点の仕方に関係しているのではなかろうか。
 私が息子が高等学校に行くか行かないかよりも、行けるか行けないかに興味をもったのは当然である。親の面接日に息子の担任の先生が
 「KENのことで千葉が気にしていること分かるわ」
 「え?何のことですか?」
 「日本ではほとんどの子が高等学校へ行くのでしょ。大丈夫KENは行けるから」
 デンマークの教育を信じ、息子が高等学校へ行けなければそれなりに好きな職業別の専門学校へ入ったら良いだろうと思っていたので、棚からぼた餅?を得たような気がしたものである
 しかし、九年生を卒業後すぐには子供っぽい息子が、かなり大人っぽいデンマークの高等学校に着いていけるかが疑問だった。デンマークには九年生の次に義務ではないが十年生制度があり、学力不足あるいは情緒的に子供過ぎるような者には十年生に行くことが出来るのである。現在約半分の者がこの十年生に進むようである。妻と私は息子に十年生に行った方が良いのではないかと話してみた。息子も薄々自分の子供っぽさに気がついていたようで、すんなりと十年生に行くことに同意した。高等学校進学に際し、入学試験はなく、九年生あるいは十年生までの理解力が判断基準とされるのである。子供たちは受験戦争に巻き込まれずにのびのびと生きていけるのである。
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この手記は月刊「権利闘争」(権利問題研究会発行)にて連載されたものです。転載の許可をいただきました関係者の方々に感謝いたします。