・国民高等学校設立へ

 

 デンマークにおいてデンマーク政府の文部省が認可する国民高等学校(フォルケホイスコーレ)を設立させるにはいろいろな段取りを経なければならない。まずは、デンマーク文部省に学校認可の申請前に学校の母体となる建物や敷地(最低でも完成時の6分の1程度)を必要とした。学校を発足させてデンマーク政府から援助が出るまで一切の公的援助は得られないのである。しかし、この最低条件を満たすことは生活学園を運営していたので問題はなかった。学校を設立させるにはさらに理事会を発足させなければならない。この理事には生活学園の理事に引き続いてなってもらうようお願いした。

 

・定款をつくる−政府監察官が親切に助言してくれた−

 

さて、認可までの経緯を記そう。
1.国民高等学校の定款の承認は1年前までになされなければならない。
 この定款の第一条・学校設立の目的は何回となく文章の訂正を強いられた。また、学校名をDansk Japansk Kulture H?jskole(日欧文化交流学院)で申請していて問題なかったのだが、途中から学校が存在する地名をつけるようにと指示され、理事会は不本意ながらBogense Folkeh?jskoleとしたのだが、この名で後に大変と迷惑を被ったのだ。
 国民高等学校はデンマーク文部省通達第37条により全人教育を実施することによって、学生の人格形成に寄与する学校として国の補助を得る資格を有するもので、さらに同通達259条により上記目的を達成する国民高等学校は全寮制でなければならないと規定されている。
  定款・設立趣旨Bogense Folkeh?jskole日欧文化交流学院は上記2通達の規定を満たすものとして同国ボーゲンセに設置される学校法人である。
日欧文化交流学院は国籍、宗教、思想、性別を問わず18歳以上の人々に開かれる全寮制の教育の場であり、心身両面の鍛練によって自信を持たせ、使命感ある人間を育成するとともに、自己にないものをほかに学び広く自国と他国を比較学習させ、国際相互理解ひいては世界平和に寄与することを目的とする。
 この設立趣旨のほか、いろいろと学校法人についての規定などすべて一字一句チェックされ、訂正し承認される。定款が承認されるまで文部省に足を運んだのは一回だけ、逆に文部省の監察官が何度となく来てくれていろいろと助言してくれたのには驚いた。 監察官「千葉、デンマーク文部省が認可する国民高等学校はデンマーク人のためのものである」
 千葉「はい、分かっております。しかし留学生として外国人を受け入れることはできるはずです」
 監察官「それは日本人のことか?」
 千葉「大部分は日本人になると思います」
 監察官「分かった。しかしデンマークの学校だからデンマーク人んが半数以上を満たさなければならない。また学校名はDansk Japansk Kulture H?jskoleはまずい。学校所在地の地名を入れるべきである」
 千葉「はい、デンマーク人学生が半数以上であるべきことは分かりましたがなぜ学校名を変えなければならないのですか?」
 監察官「デンマークの国民高等学校は日本人のためにあるのではなくデンマーク人のためのものであるからだ」
 千葉「分かりました。それではご指示のとおり正式名Bogense Folkeh?jskoleとして申請いたします。ただし、英名としてDanish Japanese Culture Collegeと呼んでいいでしょうか?」
 監察官「かまわない」
 千葉「同様に日本名は日欧文化交流学院とさせていただきます」
 監察官「デンマークの国民高等学校はデンマーク人のためにあることを忘れちゃいけないよ」(ウィンクして言った)
 千葉「分かりました。デンマーク人のための学校を作ります」 文部官僚との会話も極めて日常会話的に行われ、しかも本来なら私が文部省に出頭しなければならないだろうと思われるのにボーゲンセまで来てくれたのだ。

 

・学校を作って整える−校長・教育課程・建物・予算

 

 2.定款が承認されると開校6ヶ月前に次の事項が審査される。
・学校長・教育課程内容・学校の建物(居室、教室など)・開校から向こう2年先までの予算案。
 学校長に関して千葉忠夫がなんと何の問題もなく承認された。デンマークに100校近くある国民高等学校で外国人の校長はほとんどいないし、日本人では初めてだと思う。
 教育課程内容についても大別すると午前中は語学、文化、歴史、社会学などの学科で、午後は日本の武道(空手、柔道、剣道、合気道など)、陶芸、手芸、工芸などの課目にした年間カリキュラムもさほど問題なく承認された。問題は教場、居室となる建物がそろっておらず新築を余儀なくされたのだが、真っ先に生じた問題は資本ゼロということであった。私は何としてでも日本人学生数が49%までは入れる学校を作りたいと願っていたので、以前研修に来られた方々に相談したところ、元毎日新聞の記者である高田城さんが支援団体を発足させ、それを引き継いで千葉県の高校教師、茂木俊郎さん「が日欧文化交流学院を支える仲間の会」を設立させ募金を呼びかけてくれた。さらには朝日新聞(当時)の大熊由紀子さんが「窓」欄に私がデンマークに学校設立を試みていることを紹介してくれたので一老婦人から高額な寄付を頂戴した。こうして新館建設に必要な費用の6分の2が日本の皆様からのおかげで集まったので残りの6分の4は銀行ローンにした。
 1997年1月完工の一カ月前に点検にきた2人の文部官僚は「良いところに学校を作ったね」「学校らしからぬ学校がなかなか良い」とこれも見事に承認してくれた。
 残るは向こう2年先までの予算案の承認である。この予算案の作成は私と理事会で原案を作り、公認会計士が作成した。当然開校後もらえる国からの80%近い補助金を見込んだ予算案であったが、これも承認された。

 

・開校の許可が下りたが経済好況で厳しい学校運営

 

 1997年1月1日付をもって開校の待望の許可を得た。長い道のりだったとほっとしたもののデンマーク人の学生が半数以上(51%)なるかどうかが懸念された。おりしもデンマークは経済が高度成長期に差し掛かっており、労働市場は質の良い労働力を必要とした時期であった。若者たちは教育費無料の職業専門学校で資格を取り、就職へという道を取り、唯一授業料を払い、何の資格も与えない国民高等学校を敬遠し始めた。また、ちょうどこの時期国からの補助金を開発途上国援助という名のもとに不当に国内外の不動産買収にまわした国民高等学校群が現われ、国民の信頼を痛く失った。ほかの学校はその余波で不利になっていった。その学校群の一つがボーゲンセにもでき、私たちの学校は幾度となくその学校と間違えられる羽目に陥った。期待をかけて開校した学院にはデンマーク人がわずか7人。日本人学生がその倍以上の14人。デンマーク人の学生が15人いれば補助金受給の対象になれたのだ。文部省の役人が置いていった補助金申請書は空白のまま提出されなかった。1998年にかけて景気はさらに好くなり、失業率は下がる状況の中で、既存の国民高等学校が相次いで倒産し始めた。非常に親切で優しい文部省も補助金助成の基準を満たさないと補助金を停止するばかりでなく、基準を満たさなかった前年度分も払い戻せと厳しいのだ。
倒産する学校が増えてくるとさすがにデンマーク人たちも困惑し始めた。150年以上もの伝統あるデンマーク文化、民主主義の教育の場、社会福祉国家を築く大きな基盤になった国民高等学校をつぶすなと国会でも取り上げられ、法案改正の作業が進行中であるが依然として既存の学校の倒産は続いている。
 日欧文化交流学院は1999年春期まで規定の基準を満たすことができず、国からの補助金なしでの運営を現在まで強いられている状態である。デンマークのホテルの一泊朝食付きと同料金程度で一泊三食付きで社会福祉短期研修の実施と私が日本で行うデンマーク社会福祉セミナーの謝金が日欧文化交流学院は倒産から免れているのである。

 

・福祉教育、「奉仕活動義務化」に驚く

 

 私は34年前と変わりない経済不安の状態で日本国民が安心して生活できる国を作るにはどうしたらよいのか、この学院で学生や短期研修にきた方々と話しつづけ、実現したいと願っている。
 3年くらい前だったと思う。日本に滞在中に日本を社会福祉の進んだ国にするために福祉教育をするべきだということを聞いた。今年9月に帰国したときは何と小中高生に「奉仕活動の義務化」などと一つの日本語文の中で相反する言葉を平気で使っている。福祉教育などという言葉はない。奉仕活動の義務化などと一体教育をなんと心得ているであろうか?義務教育の9年間にその国の国民に必要な真の教育をすればよいのである。
 真の教育を受け、新の民主主義を身に付けた国民がいる国は大変住みよい国である。社会的に弱い立場にいる人たちの生活が苦しい国は決して住みよい国ではない。健やかに成長すべき時期を競争原理で無意味な学歴社会に突入を強いられる日本の若者たちは決して幸せではない。

 

・私に定年はない−ノーマリゼーションの普及と日本人をしあわせに−

 

 私はデンマークにあってバンクミケルセン記念財団も設立し、地球上のすべての障害者にノーマリゼーションが行き渡ることを願っている。同時に私は私たち日本人が幸せな人生を送れるようにするには何が必要なのかを訴えて生きつづける。私に定年はない。

 

(終わり)
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この手記は月刊「権利闘争」(権利問題研究会発行)にて連載されたものです。転載の許可をいただきました関係者の方々に感謝いたします。