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 最近とみに社会福祉への関心が高まり、福祉先進国と言われる北欧のスウェーデンやデンマークへ海外研修として毎年たくさんの人々が訪れている。

 

 しかしながら、社会福祉という言葉をややもすると特定の人を対象とした政策としての言葉と理解している人が大部分である。すなわち、母子福祉、高齢者福祉といったようにである。社会福祉国家と呼ばれているデンマークにおいては、特定な人々のみの生活を保障するのではなく国民全員の生活を「揺りかごから墓場まで」保障しているのである。

 

 アメリカのペンシルバニア大学のリチャード教授が過去20数年間に渡り「世界中で一番生活しやすい国はどこか」と、教育、文化、外交などにいたるまで調査した結果、百数十カ国の中で上位3位までを北欧諸国が独占し、第1位はデンマークであった。とりもなおさずこれら北欧諸国は社会福祉国家である。社会福祉国家ということは、国民全員の生活が保障されているということで証明されているのである。したがって福祉、福祉と専門的な用語として用いず、生活という言葉に代えてみるとより身近なものとなってくるのである。各々の生活がいかにあるべきかを自分達の生活として、自分達を各々の立場に置き換えていけばよいのである。

 

 デンマークに研修に来た方々は、皆一様に施設での処遇が大いに違うことに感嘆する。例えば特別養護老人ホームは全員個室でバス・トイレ付き、自分が使っていた家具などを持ち込めるし、ほとんどの人が個人のテレビ・電話を所有している。確かに、外国の進んだ処遇状況を視察することは大事なことであるが、私が研修生の方々に望むことはこういった物質面の良さではなく、なぜ、デンマークが世界中で一番生活しやすい国になったかということを学んでほしいのである。

 

 物質的な発展はお金さえあれば出来るのである。高福祉高負担とよくいわれるが、デンマーク人たちは「揺りかごから墓場まで」の生活を保障されているので、高負担とは思わない。言葉を代えれば、自分たちの生活を国が保障するのでなく、自分たちで保障しているということなのである。
日本では昔から年貢として、お上に搾り取られてばかりいたので、国に税金を払って自分たちの生活を保障するという制度をなかなか作れないようである。これは残念ながら、日本における民主主義の未熟さによるからだと思われる。

 

 西洋諸国は百年も二百年も前に民主主義を自分たちで勝ち取り、文字どおり「民主」を自分たちの生活に結びつけているのである。ここで、私たち日本人がいかに民主主義を正しく理解することが社会福祉の発展になり、国民の生活が保障されることにつながるということを理解してもらいたい。

 

 民主主義は「自由・平等・連帯・共生」などの言葉で説明される。言葉だけの説明なら、日本人は誰でも正解を出せる高等教育を受けている。しかし、民主主義を正しく理解しているということは言葉の説明などではないのである。特に「平等」は社会福祉の中で一番重要な意義を持つ。即ち、国民すべてが平等に健康で文化的な最低生活を営む権利を有するということである。

 

 ところが日本国において、この平等の考え方が、あらゆるところで否定されているのが現状である。その最も悪いところが教育にあるというのは皮肉であ。国民を正しく教育すべきなのに、前述した平等をまったく否定する正反対の教育をしているのである。それは競争原理に基づいたものであり、偏差値教育である。人より良い成績を取り、良い学校へ行き、良いところに就職して、という具合に絶えず競争である。少し前に連続して起こったいじめを苦にしての中学生の自殺で、学校や教師がマスコミから寄ってたかってイジメに合っていたが、悪の根源は日本の教育制度を容認する我々日本人の社会にあるのだ。進学ばかりに力を注ぐ教育を社会から強いられている教師に情緒的な教育をする余裕などあるわけがない。100%近い高等学校進学率など、決して世界に誇れるものではない。大きな格差のある、どの学校を卒業しても高等学校卒業資格を平等に与えている国、これほど不平等な平等はないのだ。高等教育・大学教育はそれを必要とする者だけが受けるべきもので「猫も杓子も」受ける教育ではない。たとえば、デンマークでは高等学校への進学率は約35%であり、残りの65%は修業年限3年の職業別専門学校へ行くのであるが、これこそ義務教育に続く価値ある高等教育であると私は思う。

 

 私たちは、その国の教育のあり方がいかにその国の国民の生活を保証するかしないかを左右する基盤になるということを強く認識する必要がある。

 

 さて、「社会福祉」を「国民の生活」と置き換えるとより身近な自分のこととして考えるようになると前述した。高齢化社会に突入していく日本において、私たち自身が高齢者になったときにどのような生活を送りたいのだろうか?先進福祉国家においても、親子同居の時代が50年くらい前まではあった。しかし、女性の社会進出、核家族化が進み、現在では別居が大部分である。今後、社会の発展はいずれの国も北欧型に近づくと予想される。よく「北欧と日本は歴史や文化が違うから」という言葉を聞くが、どこの国に生まれた者でも安心して老いられる国であることを望むはずだ。歴史や文化に捕らわれない個々の生活保障があってしかるべきである。

 

 世界最高といわれるデンマークの高齢者福祉の主体は「在宅介護」であるが、これを日本では「家族介護」と位置づけているではなかろうか?日本の同居率もすでに50%近くになっており、今後、より下がるはずであるので「家族介護」は不可能になっていくことは必至である。私は決して家族介護を否定するつもりはないのであるが、もしそれが家族、特に女性を犠牲にした美徳という日本の文化の中で行われるのであれば、これ以上の犠牲者を出さない方法を考えることが、私たち日本人がこれから創造する最大の文化となるであろう。親離れ・子離れが常識化すると、高齢者の面倒は公共がみることになり、その一番の担い手はホームヘルパーである。「寝かせきり老人」を日本から一人でもなくすには、現時点において、少なくとも70万人のホームヘルパーを必要とする。高福祉を実施するには当然お金を必要とするので、国民は自分の生活を自分で保障するという意識を持てば、年貢を納めるような負担を考えることなく納税するだろう。

 

 社会福祉を大義名分に捉えずに、自分自身の生活安定・向上を考え、民主主義を文字どおり自分たちのものとして身につけなければならない。真の「自由・平等・連帯・共生」の意識を持つことが、私たちが安心して老いられる国を作るために必要なのである。